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“美食地理学®”の生みの親

豊嶋 操/ツアープロデューサー・全国通訳案内士・医療通訳・薬剤師

アスビト創造ラボ ASUBeTO

ASUBeTO:9 旅×明日人

薬学か、英語か

日本から海外へ、そして海外から日本へ——パンデミックの影響で一時途絶えた世界を旅する人の流れは、少しずつ回復しています。

あなたは今、どこへ行きたいですか? 
そして、どんなお土産を手に入れたいですか?

外国人の日本旅行をサポートする豊嶋 操さんは「全国通訳案内士」。高い語学力にくわえ、日本の歴史や文化など広範囲にわたる知識をあわせもつ、いわば“旅行ガイドのプロフェッショナル”です。

小さいころから外国の人や言葉に興味があった豊嶋さんは、安政から続く薬屋の家系に生まれ、周りも自分も、「家業を継ぐもの」となんとなく思っていました。そんな彼女が5歳のときに起きたある出来事が、“なんとなく”から目覚めさせます。家族での外食時、外国人から話しかけられた際に、びっくりして泣きだしてしまったという、とても歯がゆい思いをしたのです。

「外国の人とちゃんとお話がしたい」

夢を実現するために学びたいと思ったのは、このときが初めてだったかもしれません。ほどなく、『通訳にあこがれていた』母の勧めで、英会話学校に通いはじめます。一つひとつ言葉を覚えながら、英語でコミュニケーションする楽しさを知っていったのです。

こうして英語に夢中になった少女は中学、高校へと進み、さて大学進学という段になって考えこみました。大好きな英語を極めるべきか、それとも家業に役立つ薬学を選ぶべきか。

そこで彼女が選んだ答えは、
「英語は後からでも学ぶチャンスがあるけれど、薬剤師の勉強は大学でしかできない」

どちらか一つではなく、どちらも学びたかったからこそ、薬学部へ進学。でも、好きな英語を続けるために、昼は大学、夜は通訳の学校と二足の草鞋、いや二つの学校で学び続けることにしたのです。

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気になったことは調べて確認。豊嶋さんはプロフェッショナルになった今も勉強し続けています

複数の資格をもつガイド

薬剤師の免許を取得し、大学を卒業した彼女が就職したのは、薬学と英語、両方の知識が生かせる英国の医療系出版社でした。しかし、日本人スタッフが多い職場で、

「もっと、どっぷり英語につかりたくなって……」

100%英語で仕事をする外資系企業に転職。通訳やマネージャーとしての経験を重ねる中、思いがけず魅力的な仕事に出会います。

「海外ゲストをアテンドして、観光名所や土産物店にご案内することがあったのですが、それがとっても楽しくて!」

ふと思い出したのが、子供のころ、大好きだった『兼高かおる世界の旅』というテレビ番組です。憧れの兼高さんのように世界を旅するのは難しいけれど、日本を旅する人のお手伝いならできるのではないかしら。

夢を見たら、迷わず、その夢に向かってまい進するのが豊嶋さんです。さっそく最難関国家資格のひとつ、「全国通訳案内士」の試験勉強を開始。わずか4か月で見事に合格します。薬剤師の免許と合わせ、40代を目前にして2つの資格を手にしました。

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海外からのゲストとともに日本中を飛び回ることで、“新たな日本の魅力”を発見することも

お土産よりもOmiyageを

念願かなってプロの通訳ガイドとして海外からの旅行客を迎えるようになった豊嶋さんは、医療通訳のスキルをあわせ持つガイドとして、活躍の場を広げます。

「旅先では、環境が変わったり、食べなれないものを食べて体調を崩すことが多いものです。そんなとき、薬剤師や医療通訳としての知識が役立って、ゲストに感謝されることがよくありました」

こうして、豊嶋さんに日本を案内してほしいというファンが増える中で、日本人が買う“お土産”と、外国人観光客が求める“Omiyage”には、大きな違いがあることに気づきます。

「北欧からのゲストが多かったのですが、みなさん、旅先の名産品を買うことより、出会った人との交流や、その土地での経験を“Omiyage”としてとても大切にしていたのです」

たとえばこんなエピソードがありました。

あるスウェーデン人ゲストを谷中の喫茶店に案内した時のこと。たまたま隣にいた老夫婦が、「よければウチへいらっしゃい」と声をかけてくれました。「それでは」と予定を変更してお邪魔したお宅で、みんなでタタミに座り、ちゃぶ台を囲んでお茶とお団子をいただくという“何気ない日本の日常”を味わったのです。

「帰りぎわに、奥さまがタンスの上にあった『ケロヨン』の指人形をくださいました。スウェーデン人のゲストは、今でも『ケロヨンを見るとあの日のことを思い出します』とうれしそうに連絡してくるのですよ(笑)」

そう、外国人観光客にとって、“お土産”というモノは、”Omiyage“という大切な旅の記憶を蘇らせるスイッチなのです。そんな“Omiyage”を持ち帰ってもらうために、豊嶋さんが心がけていること……それは、

「わたしがいなければ見られない日本の景色を届けること」

一期一会の出逢いを大切に、予定表には縛られずに臨機応変に旅を演出することこそ、通訳ガイドのミッションだと信じています。

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「特別なモノや場所ではなく、日本人のあなたがごく日常的に触れているものを教えてほしい」とリクエストされることが多いのだとか

コロナ禍で再発見した日本食の魅力

多いときには年間200人ものゲストをアテンドした豊嶋さんですが、パンデミックの影響で訪日客はゼロに。しかも、2020年4月には、自身もコロナに感染し、その後、日常生活もままならないほどの重い後遺症に悩むようになります。

旅行どころか近所への外出も難しく苦しい日々。その中で、豊嶋さんの心を癒してくれたのは、ゲストとの楽しい思い出でした。

「初めて口にする『日本の食べ物』を前に、こぼれるような笑顔を見せてくれた、たくさんのゲストの顔が浮かんだのです。そして、プロの通訳ガイドならもっと深く『日本の食べ物』について知るべきだと考えました」

思い立ったらすぐに、徹底的に学びはじめるのが豊嶋流です。自宅療養中にもかかわらず、「日本の食」に関する本を片っぱしから読みはじめました。素材の滋味を生かし、季節の彩りも鮮やかな「日本の食」が、なぜ、どのように生まれたのか、その謎を探究することに夢中になったのです。数年前に日本ソムリエ協会の日本酒資格・Sake Diplomaを取得したこともかなりプラスになっているそうです。

手にした本の範囲は実に幅広く、中には、日本の鉱業史と殖産興業について書かれたものもありました。

「たとえば、かつて愛媛県新居浜市には、別子銅山で働く男たちがたくさんいました。男たちが集まる場所では当然、酒の需要が高まります。隣にある名水の地、伊予西条が銘酒の産地となったのは、こうした産業の隆盛が背景にあったからなのです」

また、牛肉食が一般的ではなかった江戸時代に、太鼓に張る牛皮を幕府に献上していた彦根藩では、こっそり牛肉を食べていたという興味深い話も。

「この秘密の歴史が、現在の三大ブランド牛のひとつ近江牛につながるというのは面白いですよね」

調べれば調べるほどに確信したのは、「美味しい食べ物は、美味しい食材を育む土地と、そこに暮らす人々の生活習慣から生まれる」という、地理的な条件と食文化との密接な関係でした。そして膨大な調査をもとに、豊嶋さんが発表したのが『美食地理学®(=Gastrogeography®)』という新しい研究分野です。

中でも注目しているのは『発酵食品』。なんでも、国花や国鳥を掲げる国は数あれども、麹菌を“国菌”として認定している国は世界で唯一、日本だけなんだそう。

「麹菌は日本人の食生活に欠かせないもの。薬学部時代に微生物学の授業で少し学びましたが、改めて学び直しています。日本各地の名物寿司や日本酒にも深くかかわっているので、発酵食品は美食地理学の研究を進めるうえで見過ごせない存在なのです」

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豊嶋さんが運営する公式サイト「Omiyage Memories」にはGastrogeography®に関するテキストも掲載。日に日に問い合わせが増加しているそう

旅のまえには美食地理学、旅のあとにはOmiyageを

最近は、動画サイトやSNSを通じて、その土地に行かなくても豊富な情報が手に入り、手軽に“行った気分”が味わえるようになりました。そんな時代だからこそ、豊嶋さんは今、あらためて『旅』の意味を考えています。

「旅先での思いがけない人とのふれあいは、現地でしか得られない感動です。それこそが旅の醍醐味ですから、通訳ガイドに復帰したら黒子に徹し、“忘れられない一期一会”を演出したいと思います」

さらに、その“一期一会”を価値あるものにするのが、『旅のまえ』と『旅のあと』だと豊嶋さんはいいます。

「旅先の旬の味や珍しい郷土料理も、『旅のまえ』に、その味が生まれた背景、つまり『美食地理学®(=Gastrogeography®)』を知ったうえで味わうと、感動はさらに大きくなるはずです」

そして、『旅のあと』には、いつまでも色あせない”Omiyage”を持って帰ること。

さあ、あなたは今、どこの“美食地理学®(=Gastrogeography®)”を知りたいですか? 
そして、どんな”Omiyage”を手に入れたいですか?

(2023年3月1日)

明日人の目

明日人の目

「経験する旅」のための 7 つ道具

地図、ポチ袋、ハンドタオル、五円玉、白ソックス、筆ペン、大判傷パッド。
「この7つ道具を持っているのは、どんな仕事をしている人でしょう?」
こんな質問を友人にしたことがあります。
「うーん、山岳ガイド? いや、俳句の先生かなぁ」
と、苦しい答えが返ってきましたが、実はこれ、今回ご紹介した豊嶋さんに以前見せていただいた、オリジナルの「通訳案内士の7つ道具」なのです。

この中の「ハンドタオル・五円玉・白ソックス」の3点セットは、神社・仏閣での必需品。 手水舎(てみずや/ちょうずや)で手と口を清めたときに拭くタオル、お賽銭用の五円玉、靴を脱いでお堂に上がるときのソックスです。
ただ神社・仏閣を「眺める」だけなら必要はありません。でも、きちんと「お参りする」には欠かせないもの。旅先で、ただ景色を見るのではなく、その景色の中での経験を楽しみ、味わい、心に刻んでほしいという豊嶋さんの願いからうまれた道具たちなのです。

人がなにかを学ぶときには4つの方法があるといいます。「教えてもらって学ぶ」「情報から学ぶ」「人とコミュニケーションして学ぶ」、そして「経験から学ぶ」。
なかでも五感を駆使して「経験から学ぶ」ことは、もっとも手間暇はかかるけれど、もっとも魅力的で、もっとも効果的で、もっとも長く記憶に残る学び方だといわれています。

豊嶋さんのガイドで、日本を思う存分経験した海外からのお客さまたちは、きっとたくさ んの貴重な学びをOmiyage にすることでしょう。

ちなみに、地図は日英のバイリンガル地図、ポチ袋は日本旅館の仲居さんに和風チップで ある「心づけ」を渡すため、筆ペンは「ワタシノナマエ、カンジデ、ドーカキマスカ?」と リクエストされた時におもむろに行書体で書くため、そして大判傷パッドは楽しみにして いた温泉に入るときにファッションタトゥーを隠すため、だそうです。

アスビト創造ラボ 編集長

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PROFILE

豊嶋 操(とよしま・みさお)/ツアープロデューサー・全国通訳案内士・医療通訳・薬剤師

個人や少人数の外国人旅行者の日本旅行ガイドを務めるほか、会議通訳を含むインセンティブトリップ、国内外テレビ局等のメディアツアーアテンドや番組制作にも参加。また、地方自治体主催の地域通訳案内士養成講座や、大学観光学部などにおける講師も務める。音楽ジャーナリストで、夫でもある豊嶋淳志氏とともに北欧ジャズ専門メディア「jazz Probe」(https://jazzprobe.com/)を運営中。2018年に著書「ニッポンおみやげ139景」(中央出版アノニマ・スタジオ刊)を上梓。

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