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「人生、送りバント」を胸に

伊藤悠一/茨城アストロプラネッツ監督

アスビト創造ラボ ASUBeTO

ASUBeTO:20 スポーツ×明日人

野球界に突如現れた異色経歴の持ち主

日本にはNPB(日本野球機構)に属するプロ野球チームのほかに、その12球団への所属を目指す選手たちが集まる“独立リーグ”が複数存在します。その中のひとつ、信越、関東、東北の一部に本拠地を置くチームで構成された「ベースボール・チャレンジ・リーグ」(ルートインBCリーグ)に属する茨城アストロプラネッツは、2022年オフに新監督を公募しました。性別や年齢に関わらず多数の応募が集まる中から選ばれたのは、NHKで数々のドキュメンタリー番組を手掛けてきたディレクターの伊藤悠一さん。野球指導経験のない彼がどのような思いでキャリアチェンジをはかり、今何を見据えているのかうかがいました。

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                                ©︎株式会社茨城県民球団

人生は、レールを外れた時の方がよく見える

———少年時代は野球ひとすじだったそうですが、テレビ局のディレクターになったのは、なぜでしょう?

中学生時代に夢見た職業のひとつがテレビ局のディレクター、そしてもうひとつが野球の監督でした。ディレクターに興味を持ったきっかけは、「報道ステーション」(テレビ朝日系)の前身で、久米宏さんがキャスターをしていた「ニュースステーション」という番組です。世の中の出来事やスポーツの結果のみを報道するのではなく、「なぜそうなったのか」という理由や、結果に至る過程も丁寧に伝え、視聴者に問題提起をしていることに興味を覚えました。自分もテレビ局のディレクターになって、こんな風に、一般の人ではなかなか知ることができない部分を取材して伝えられたらいいな、と考えていました。

一方、現実の学校生活では、小学校から野球部に所属し、野球に明け暮れる毎日を過ごしていました。しかし、野球の強豪高校で文武両道に悩み、中退することに。私はその時に、「人生のレールを外れた時の方が、まわりが良く見える」と感じました。失敗したように見えて、実は新しい可能性を切り拓いているのではないかと思うのです。

大学を卒業して就職するときも、TVディレクターと野球の監督の2つの夢は胸にありました。ただ、監督は社会での経験を重ねてからでも遅くはない、社会人1年生としてまず挑戦すべきはディレクターの仕事だと考え、TV局一本に絞って就活しました。

———35歳で野球の監督へ転身したきっかけは何だったのでしょうか?

「東京2020オリンピック」ですね。開催前の約3年間、アスリートのドキュメンタリー番組をいくつか提案し、制作することができました。それをやり切ったときに、ディレクターとしてひと区切りついたなという感覚があったのです。ちょうど同じころ、偶然、仕事の関係で茨城アストロプラネッツの情報を知り、「監督を公募するなんて、面白い球団だな」と興味がわき、「新しい自分に出会えるところにいってみたい」という熱い想いがわきあがってきました。

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ディレクターも監督も聴く力が大事

———テレビの現場の経験で、野球の指導に活きている部分はありますか?

ディレクターと監督では全く別もののように見えますが、驚くほど共通点が多いんですよ。NHK時代は撮影チームの中心となり、良い番組を作るためにカメラマンやアナウンサー、記者や編集のようなプロフェッショナルたちの意見を聴き、その内容を整理し、チームとしての方向性を決めるというのが私の役割でした。私自身がきれいな映像を撮れるわけでも、うまくしゃべれるわけでもありません。つまり、ディレクターとは、自分ひとりでは何も創れないのです。

野球の監督も同じです。指導するのはコーチで、彼らが選手と共により高いレベルを求めていく様子を俯瞰した立場で見守るのが監督の仕事になります。組織がより良い方向に進むために状況を見極めて決断するという点では、テレビのディレクターと同じですね。

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目指すのは“伴走型”のリーダー

———現代のプロスポーツの現場では、データのスペシャリストやビジネス的なマネジメント力の高い人材がチームの運営に関わるケースが増えていますよね。異業種から野球界入りを経験したご本人として、新たな“監督像”は見えていますか?

チームを引っ張ることはもちろんですが、選手に寄り添い同じ目標に向かっていける“併走型”の監督を目指しています。私が野球をやっていた高校生の頃とは、野球そのものが大きく変化しています。データ解析の方法やインターネットの利用も進み、本当に便利な時代になりました。例えば、コーチがいなくても、YouTubeでダルビッシュ有投手のようなスター選手のトレーニングの様子を見ることはできます。ただ、これをマネするだけで彼と同じように投げられるわけではありません。大事なのは、「ダルビッシュはなぜそれをやっているのか?」という問いかけに対して、自分の言葉で説明できるかどうかです。形はマネできても、トレーニングの本質的な意味を理解しないまま取り組んだのでは、成果はありません。

また、私が監督として大事にしているのは、“選手ひとりひとりの主体性を生かす”こと。そのために1対1のコミュニケーションを大事にしています。全員に同じことを同じように言うのは意味がありません。時には交換日記をしたり、自分の失敗経験を話したりと、コミュニケーションもそれぞれにあった方法を心がけています。

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あらためて知った野球の奥深さ

———選手たちを見守る中で、どのような学びや発見がありましたか?

毎日、すべてが学びの対象です。一番驚いたのは、私自身が「野球をあまりわかっていなかった」という発見ですね。サッカーやバスケットボールは、試合の流れの中で瞬時に考えて対応し、ゲームが展開していく場面が多いと思います。しかし、野球はピッチャーが投げる前にサインを決め、攻撃側も場面に応じた戦略のもとで打席に臨みます。状況判断をした上で戦術を練り、あらかじめ両チームの作戦が決まったところで「じゃあやりましょう」となる。つまり、野球は“事前スポーツ”なんですよ。もちろん、なかなか想定通りに進みませんが、この特異性はほかのスポーツにはないものだと気がつきました。

その点を踏まえたうえでの采配は、チームの勝敗に関わるだけではなく、選手ひとりひとりの将来にも影響します。ドラフト指名を目指す選手にとっての1打席、1イニングは非常に重要ですので、私が立てた戦略で失敗すると、その選手のキャリア・チャンスまでも奪ってしまう可能性があるので、責任は重大です。

———勝つためだけの采配とは違う難しさがありますね。

そうですね。独立リーグの中でも特に茨城アストロプラネッツは「選手を育て、次のステージに送り出す」という思いが強いチームです。勝利を軽視しているわけではありませんが、このリーグで日本一になること以上に、ここで経験を積んだ選手が成長軸に乗ることを目指しています。勝つこと以上に成長が大事である一方、成長するためには勝つことも大事という矛盾を抱えているので、監督としては日本一難しい野球チームを預かっている気がします。

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                                ©︎株式会社茨城県民球団

コツコツと着実に夢に向かう「人生、送りバント」

———NHK時代の同僚が伊藤監督を取材した番組(「ドキュメント20min./35歳ディレクター、プロ野球監督になる」NHK総合)の中で、「人生は変えられる」とおっしゃっていましたが、ご自身の“明日”をどのように思い描いていますか?

不完全燃焼に終わった高校野球の世界に、監督として戻りたいという夢があります。野球を教えるだけではなく、野球を通じて「自分自身の価値を知ること」を教える監督になれればと。そのために、約3年前から通信制の大学に通い、教員免許の取得を目指しています。

私はいつも、「自分に期待できる人生」を求めて選択してきました。そのためには、結果が見えないチャレンジこそ大事だと思っています。ドキュメンタリー番組を作っていた当時、取材の早い段階で「こういう流れで進み、こんなフィナーレになるだろう」と予定調和な結末が見えてしまうときは、面白い番組になりませんでした。むしろ「これは本当に放送できる?」「最後はどうまとめようか……」と先が想定できないときこそ、ワクワクしましたし、新しい自分と出会うための努力をしていた気がします。それが「人生は変えられる」と言った本質的な意味でもあります。

私の座右の銘は「人生、送りバント」。高校を中退したことも、テレビ局のディレクターを辞めてプロ野球の監督になったことも、周りから見たら大胆な行動だったかもしれません。でも、ひとつひとつのことを確認して納得しないと進めない性格ですので、自分の中では計画的な行動でした。そして、「人生、送りバント」という言葉には、目の前に飛んできたチャンスを見逃さず、「コツコツと着実に当てていけば、必ず前進できる」という、自分自身へのエールの意味もあるのです。

(2023年8月22日)

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                                ©︎株式会社茨城県民球団

明日人の目

明日人の目

強いチームと夢のあるキャリアパスを創造する「5つの資質」

世界中から多くの専門家が集まり、人材育成の未来を語るatd(全米能力開発機構)のセミナーの中でも、とくに人気の高いのが『リーダーシップ・マネジメント』をテーマにしたセッション。そこで、AIやロボットにはない、人間ならではの優れたソフトスキルとして多くのスピーカーがあげたのが、次の『強いチームを創るリーダーに欠かせない5つの資質』です。

1.信念
リーダーの哲学や価値観は強くクリアであるべき。ただし頑固とは違う。本を読み、人と会い、新しい知識を柔軟に吸収する、進化する信念であること。

2.人間性
楽観主義者であること。暗いチームはいい仕事ができない。明るい未来を示すリーダーに人はついていく。

3.勇気
よく誤解されるが、勇気とは、脅威に鈍感なこと、リスクを恐れないことではない。恐れを無視した勇気は危険なだけ。勇気とは恐れをマネジメントする力であり、リーダーは最悪を予想して準備し、想定外の事態にも冷静に対応する。

4.チームワーク
自分はなんでもできると思いこんだら、リーダーは孤立への道を歩む。リーダーに必要なのは、自分の「弱み」を冷静に評価する力と、弱みを補完してくれる人材を登用する能力である。

5.コミュニケーション
リーダーのアイデアを、日ごろからメンバーのハートにしっかりインプットしておくこと。そのとき必要なのは、情報(インフォメーション)と感情(エモーション)の両方。彼らがいてほしいときにあなたがそばにいれば、あなたがいてほしいときに彼らはそばにいる。

常に次のステージを見すえて学び続け、ディレクターの視点で選手やコーチの能力を生かし、ひとりひとりと膝を交えて熱く語り合い、緻密に戦略を練りながら、温かい笑顔でチームを包みこむ。
そんな伊藤監督が率いる茨城アストロプラネッツがどんな躍進をみせるのか。これからが楽しみでなりません。

アスビト創造ラボ 編集長

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PROFILE

伊藤悠一(いとう・ゆういち)
1987年生まれ、静岡県出身。小学校3年生から野球を始め、高校までは野球部に所属。慶應義塾大学入学と共に体育会競走部に所属し、4年次には十種競技の選手としてインカレに出場。卒業後は日本放送協会(NHK)に就職し、和歌山放送局での勤務を経て東京のNHK放送センターに異動。ディレクターとして「プロフェッショナル 仕事の流儀」「NHKスペシャル」などを担当する中で、茨城アストロプラネッツの監督公募に応募し、現在に至る。

  • 茨城アストロプラネッツ  https://www.ibaraki-planets.jp/
  • 撮影/磯﨑威志(Focus & Graph Studio) ※「株式会社茨城県民球団」提供写真を除く 
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