ゴミ拾い×仲間=大学教授
飯倉清太/NPOサプライズ代表理事
ASUBeTO:6 地域×明日人
「だったら、自分で拾えばいいじゃん」で目が覚めた
いつもキレイに掃除している自分のお店の目の前に、空き缶が無造作に捨ててあったとしたら……。たいていの人は顔をしかめ、、「―ったく!」と、思わず感情的な言葉をくちばしってしまうのではないでしょうか。静岡屈指の観光地として知られる伊豆天城で、TVや雑誌にも登場した人気アイスクリーム店を経営していた飯倉清太さんも、そうでした。
どうにも気持ちがおさまらず、「こういうことを平気でするなんて、ホント、ひどいよねぇ」というつぶやきと証拠写真をブログにアップしたのです。でも、知り合いから寄せられたのは「だよね!」ではなく、思いがけないコメントでした。
「自分で拾えば、いいじゃん」
「怒ったって、世界からゴミはなくならないよ」
なるほど!
ここで素直に納得したのが、飯倉さんの“ものがたり”の始まりです。
「いや、心底ハっとしましたね。そうかぁ、文句をいったら、だれかが、どうにかしてくれるって、自分は今までそんな風に考えていたんだなって」
2008年のお正月のことでした。
ゴミ拾いはタダでできる学びのチャンス
目の前の課題を「自分ゴト」として捉え、率先して動くこと。それが世界を変える最初の一歩になるのかも。そう気づいた飯倉さんは、たったひとりでゴミ拾いを開始。声をかけた親しい仲間たちがひとりふたりと加わるうちに、いつのまにか1回の清掃活動で4トントラックがゴミでいっぱいになるほどの規模になっていました。
「ゴミ拾いって、カネなし・コネなし・スキルなしで気楽にできること。ついでにリスクも全然ないから、いつでも誰でも始められるボランティア活動なんです。それに、ゴミを拾えば、みるみる町がキレイになって、自分たちでもこんなに町の景色を変えることができるんだって、自信もわくし、気持ちもいい」
こうして、ご近所さんで始めたゴミ拾いの範囲はどんどん広がり、やがて地域を超えたボランティア活動へと成長。飯倉さんはゴミ拾いの活動を通じて「タダで」学んだたくさんのことを、地域コミュニティの形成や若手人材の育成に活かそうと、NPOサプライズを立ち上げます。
お正月に、店の前の空き缶を拾ってからわずか10か月後のことでした。
『場を作り、人をつなげ、コトを起こす』
NPOとしての活動をはじめると、行政との役割分担や関係性について考えることが増えました。たとえば、大量のゴミを拾い集めるまではできるけれど、それを処分するとなると、とうてい市民ボランティアには無理、そこは行政にお任せするしかない、とふつうならそう考えるでしょう。
でも、飯倉さんは違いました。
「悩んでる時間のほうがもったいない。まず行動してから考えてもいいのでは」
と、仲間たちとお金を出しあって、ゴミ処理業者を頼んだのです。タダどころか、自腹でごみ処理とは、驚きです。
「珍しかったからでしょうね、メディアの取材で注目されたのをきっかけに、市の担当者が、『地域活性化事業をいっしょに考えましょうよ』と声をかけてくれたのです」
やがてゴミ拾いは、地元の高校生たちが中心となって、清掃活動を地域活性化の“コミュニケーションツール”として活用する『修善寺大掃除』という息の長い活動に発展。環境保護活動に参加しながら現地の文化を楽しむ“ボランツーリズム”の先駆けとして、近隣地域へと広がります。
こうした“場づくり”は、さらに、高校生サミットの開催や、伊豆の未来の人材を育成するキャリア教育プログラムという“ひとづくり”へと拡大し、NPOサプライズは『場を作り、人をつなげ、コトを起こす』というビジョンの実現に1歩1歩近づいていったのです。
頼まれごとは、試されごと。悩む時間がもったいない。
沸々と湧き出る温泉のように、新しいアイデアを実践する飯倉さんのもとには、市民から、学生から、行政から、他の地方自治体から、さまざまな相談ごとが押し寄せるようになります。そんなとき、自分にいい聞かせるように呟くのは、実業家・中村文昭さんの言葉でした。
頼まれごとは、試されごと。
「行政にたずさわる先輩の『実績と経験がなければ話にならない、なんでもとにかくやってみることだ』というアドバイスでスイッチが入り、“きた仕事は断らない”をモットーにしました。飲食業からNPO活動に転職したボクにとって、新しい世界で経験を積むことは何よりの学びです。どうしようかと悩む時間がもったいないから、まず行動したんです」
たとえ失敗しても、失敗から学べる人は強い。そんな信念がさらに次の扉をあけることになるのです。
「空気が良くて自然が豊か」だけでは生きていけない
2014年の秋のある日、一緒にゴミ拾いボランティアをする仲間のひとり、地元の建材会社の社長から相談を受けます。修善寺駅近く、アユ釣りのメッカ狩野川沿いの700坪の生コンクリート工場の跡地を有効活用できないか、という話でした。
「小売企業にテナント貸しすれば儲かるけれど、それじゃあ面白くない。なにかこう、町を元気にするような、インパクトのあることに使えないかなぁ』というのです。
NPO活動の実績が認められ、内閣官房・地域活性化伝道師として飛び回っていた飯倉さんは考えました。地方の “まちづくり”を進める中で課題となるのは、少子高齢化と人口流出。それを解決するには、都会から若い人を呼ぶしかけが必要です。
しかし、「空気が良くて自然が豊か」だけでは、人は暮らしていけません。暮らしを支える利益を生む、“儲かるビジネス”がなければなりません。
そこでひらめいたのが、『“住む”と“働く”をセットにした賃貸物件』というコンセプトです。
「都会では得られないビジネスのネットワークつくりと、地方ならではのゆとりあるライフスタイルの両方が手に入る場をつくり、起業家や個人事業主に移住してもらおうと考えたのです」
2016年3月。青々とした芝生で覆われた生コン工場跡地に現れたのは、穏やかな春の日ざしがふりそそぐテラスがモダンなオフィス付きの賃貸住宅12棟。民間企業とNPOの協同プロジェクト『ドットツリー修善寺』の誕生でした。
住むと儲かる賃貸物件
画期的だったのは、「住むと儲かる」しかけです。
まず、入居者は1業種につき1社に限定。仕事で競合せず、コラボレーションしやすい環境を整えるためでした。募集の3倍の希望者が押しよせましたが、「いっしょに成長できる仲間かどうか」という視点でひとりひとりと面談し、デザイナーや一級建築士、カメラマン、翻訳者、Webデザイナー、アウトドアガイドなど、多様なプロフェッショナルたちが集まりました。
つぎに、そのプロフェッショナルたちをつなぐ場の演出です。
積極的にドットツリーの広報をすること、視察を快く迎えること、仕事の協力を惜しまないこと、コミュニティ活動に参加すること。この条件をクリアすれば月額13万5,000円の家賃を3万円値下げする、と提案したのです。入居者全員が「OK!」でした。
だって、緑がまぶしいテラスで仕事している様子をSNSにUPし、見学にきた人の質問に親身に応え、ひとりの手に余る仕事がきたらお隣さんに相談し、中庭でのBBQや休日のマルシェを楽しめばいいのですから、お安い御用です。
さらにこの賃貸物件には、もれなく飯倉さんによる、行政や地元の金融機関とのビジネスマッチングや広報アドバイスという、いたれりつくせりのサポートも付いているのです。
「広場に七輪を出して干物を焼いていたら、みんながそれぞれ好きな肉や野菜をもってきて、BBQしながらのディスカッションで盛りあがるんです」と飯倉さん。東京のオフィスとの二拠点生活を始めたグローバルなソフトウエア開発会社のディレクターが市のDX推進アドバイザーに抜擢されたり、地元企業の広報サイトの制作をお隣さん同士のデザイナーとWeb開発者、カメラマンが協同で行ったりと、七輪の周りからはまさに“美味しいビジネス”が生まれています。
「“伊豆のシリコンバレー”を作りたかったのですが 紆余曲折あって1業種1社の仕組みに。結果的には、それがよかったと思います」
圧倒的当事者意識が明日をつくる
『ドットツリー修善寺』が生まれて6年。世の中はコロナ禍を機に大きく変わりました。リモートワークの普及や副業の促進で、地方の新たな魅力と可能性に光があたるようにもなりました。
ひと足早く地方ならではの新しい働き方、暮らし方を提案した飯倉さん自身も、NPOサプライズ代表としてだけではなく、大学教授として、地元企業の顧問として、“明日のためのひとづくり”に取り組んでいます。
主催するプログラムのひとつに、今年はじめたU30 を対象とする『未来への教室』があります。各界で活躍する9人のオトナたちから若者たちへ、具体的な未来の姿をプレゼンするこのイベントのメッセージは、
「圧倒的当事者意識をもって動き出せ!」
「経験豊富なオトナたちの話に刺激をうけて、若者たちはいろんな発想をするでしょう。ただ、考えるだけではダメだと思うのです。“アイデアは行動してカタチになる”がボクのモットー。失敗してもいい、実行することが大切なんです」
それは、空き缶を拾ったあの日から、ずっと変わらない飯倉さんの想いなのです。
「あのゴミを拾う前は、自分はいったい何のために生まれてきたんだろう、と考えることがありました。絵も描けないし、文章も書けない。なんかないかなぁ、と思ったら、目の前にゴミがあった。やっと自分を表現できるものを見つけた、だれかを幸せにするツールをやっと手に入れた、そう思ったんです」
『ドットツリー修善寺』の入り口に植えられた1本の樹。青空に向かって大きく枝をはったその樹には、飯倉さんと仲間たちのこんな願いがこめられています。
「1つの点(ドット)となる樹を伊豆半島の真ん中にある修善寺に植えることで、1本の樹から林に、やがて豊かな森へと育ってゆくように、ここに色々な人・モノ・情報が集まってつながり、地域を元気にしてほしいんです」
(2022年12月7日)
明日人の目
“メディチインパクト”という言葉があります。中世イタリアのフィレンツェを支配したメディチ家が、その巨大な財力で、多様な分野の芸術家や学者たちを1か所に集めたことによって生み出されたイノベーションのこと。ルネッサンスの引きがねとなり、近代への扉を開けたといわれています。
“ドットツリー修善寺“ に集った多様なプロフェッショナルたちの話を聴いて、 時空を超えてこの言葉が蘇ったような気がしました。”ドットツリーインパクト”から生まれるイノベーションは、どんな明日への扉をあけるのか。10年後、20年後が楽しみです。
アスビト創造ラボ 編集長
PROFILE
飯倉清太(いいくら・きよた)/NPOサプライズ代表理事
静岡県生まれ。起業を機に24歳で伊豆市に移住。2008年にNPO法人サプライズ代表理事に就任する。以来、地域人材育成、起業支援、地域の特色を生かしたビジネスモデル構築などを手がけ、2013年には内閣府・地域活性化伝道師に就任。静岡鉄道、沼津信用金庫を始め、複数企業の顧問やアドバイザー業務も担う。静岡大学地域創造学環 客員教授。
- NPO法人サプライズ https://www.surprizu2012.jp/
- ドットツリー修善寺プロジェクト https://dot-tree.com/