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教育を変える論理的プロセス ~前編~

工藤勇一/横浜創英中学・高等学校長

アスビト創造ラボ ASUBeTO

ASUBeTO:10 教育×明日人

学生時代からの思い

「学校は、何のためにあるのだろう」と考えたことはありますか?
大人にとっても少々難しい問題かもしれません。
この問いを、生徒たちに投げかけ続けている工藤勇一さんは、横浜創英中学・高等学校の校長先生です。かつて、東京都千代田区立麹町中学校での赴任時代に、「宿題」「定期考査」「学級担任制」という、学校教育の中で“当たり前”とされてきたことを次々と廃止したことで注目を集めました。

1960年生まれの工藤さんが育ったのは、高度経済成長期の真っただ中。小学6年生のとき(1972年)に「あさま山荘事件」が起こるなど、日本中を揺るがす出来事がたびたび起きた時代でした。そんなこともあり、子どものころから政治や哲学に興味を持っていた工藤さんでしたが、中学3年生のあるときに、大きなテーマにぶつかります。

「社会科の授業で聞いた戦争の話が忘れられません。当時、僕は15歳で、世の中はもう平和でしたし、経済が発展していく雰囲気もありました。しかし、自分が生まれるわずか15年前に終戦したという話をあらためて知ると、本当にショックでした」

このような経験から、高校生になるころには「学校とは、世界が平和になるためにあるものなのだろう」と考えるようになっていたのです。

とはいえ、大学生になるまで、自身が教員になるとはまったく考えていませんでした。

「『勤め人になりたくない』という思いはずっとありました。僕が大学生のころは、理系の学生は学校の推薦で企業に内定することが多かったこともあり、進路についてあまり真剣に考えていなかったのです。そんな中で、『高校の教員になって、好きな数学を教えながら、学生たちと人生について語り合ったら面白そうだ』と考える程度でした」

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今につながる新任時代の経験

大学時代に教育実習を通して高校生と交流したことを契機に、教師になろうと決意します。新任教師として赴いたのは、山形県にある人口6000人程度の小さな町の公立中学校でした。受け持ったクラスには小学生のように見える生徒たちも多く、少々面食らうことに。

「こんなに幼い子どもたちと付き合っていくのか、というのが最初の感想です。ただ、僕はそんな中学生に対して、哲学を語ったりしていました。それが意外と好評だったんですよ。例えば、『勉強って何のためにするの?』『学校って何のためにある?』と聞くわけです。生徒たちは大人の影響を受けているので、『自分のため』『将来のため』と答えます。そこで『本当にそうか?』とさらに質問すると、面白がって真剣に考えてくれたのです」

着任2年目には、生徒に学級を“あげる”という試みも。掲示物、掃除、給食など、日常的なクラス内の活動について、生徒自身がルールを決めて実践する取り組みです。どうなることかと思いながら始めてみると、子どもたちがそれぞれの業務を担当する“会社”とでもいうべき組織を作り、自分たちのルールを、自分たちで決め始めたのです。

「各“会社”には、社長のような役職もできて、『こんなことをやっていきたい』と話し合いました。意見を戦わせながら修正案を作っていく過程で、友だちにならなさそうな子ども同士が連携し始めたんですね。『自分たちがやるんだ』という当事者意識を持ったことで、人間関係も含めてもうまく回しているようでした」

そのひとつが、給食当番でした。学校側が決めたルールだけを守っていたときは、班によって遅くなってしまうことがあったのです。そこで、給食担当の“会社”を中心に話し合いが行われました。

「いろんな案が出ましたが、結論として『早く準備ができ、ゆっくり食べられ、早く片付ければ、休み時間を増やせる』という目標は一致していることが分かりました。次に、『それを実現するためにはどうするか?』という話し合いをして、最適なルールを決めたのです。その結果、学校一早く食べ終わるようになりました」

工藤さんの新任時代は、想像していなかった出来事や学びが多い時間となったのです。

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教育と民主主義

その後、東京の学校や教育委員会での経験を重ねながら、工藤さんの中で「子どもたちに民主主義を教えよう」という考えが明確になっていきました。麹町中学校に赴任すると、それまで培った理論を次々と実践していきます。

「校長として赴任したことは大きかったですね。民主主義の仕組みの中で、子どもたちを“自律”させながら、『学校は君たちのものだから、君たちにあげる』という形で進めることができました。実践事例は麹町中の子どもたちと一緒に作りあげたものです」

その過程で強く必要性を感じたのは、教員や保護者など多くの人たちに分かるように、理論を“言語化”することでした。

「本物のデモクラシーを教えようとしても、日本人の中には、すでに『民主主義』という言葉のイメージができ上がっているのでなかなか難しい。はっきりと説明できる言葉が見つかったのは、SDGsの『誰一人置き去りにしない』いうフレーズと出会ったときですね。これで説明できると思いました」

民主主義とは、多数決に頼るものだと考えがちですが、多数決は少数派を切り捨てる行為でもあります。そこで、工藤さんが考えたのは、みんなが合意できる「最上位目標」を設定することです。創英高校の一年生全員に、「誰一人置き去りにしない」という考え方について、“できるものとできないものがある”という授業をしました。

「人が自由に生きると必ず対立が起きるので、その対立を3つに分けてみようと。一つは感情や感性、つまり、好き嫌いという気持ち。『好きなものを急に嫌いになれ』と言われても難しいですよね。次に、考え方や価値観。これも、人それぞれの経験に基づくものだから、みんなが同じ価値観を持つのは無理です。そこで、一番重要になるのは“利害”ではないか、という説明をしました。利害について『誰一人置き去りにしない』ということは、頑張ればできるという話です」

新任2年目に経験した「給食当番」の事例は、準備を早く終えて「休み時間をしっかり確保する」というクラス全員が望む利益の追求であり、「最上位目標」になり得たというエピソードです。

しかし、「誰一人置き去りにしない」という理論は分かっても、いざ何かを決定する場面で、実際にできるでしょうか? 工藤さんは、それを実践するための「対立を生まない方法」を教えてくれました。

~後編に続く~

(2023年3月7日)

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明日人の目

明日人の目

未来を創る人材育成のパラダイムシフト

30年前、米国の教育学者ロバート・K・ブランソンが発表した「未来の学校教育モデル」は、世界中の教師に衝撃を与え、「そんな学校、できるわけない」という強い反発を招きました。 
当時の風景は、教師が教室の主役で、生徒に向かって自らの知識やスキルを一律に教えるというものでした。 
ブランソンはそれを「工業社会モデル」と呼び、「一定のクオリティの製品を、効率よく、根気よく、間違いなく生産できる人材を、たくさん育てるのに最適なモデル」ではあるが、「これからの情報社会の変化のスピードと多様性にはついていけない」と警鐘を鳴らしたのです。 
ブランソンの予言通り、今や生産現場ではロボットやAIが効率よく、根気よく、間違いなくモノづくりをするようになり、「ヒトは何をすべきか」が大きな問題になっています。 
「未来の学校教育モデル」の主役は生徒たち。日々アップデートされる膨大な情報データベースと、先端技術を有する専門家とのネットワークに自在にアクセスし、一人ひとりの好奇心と学習スタイルに即して、自ら才能を磨いていくのです。いっぽう教師はといえば、生徒たちの魅力を引きだす演出家として彼らの立つ舞台を用意し、挑戦を見守り、失敗しても大丈夫だという心理的な安全性を担保し、ときに背中を押すことが役割となります。 
工藤校長が行う「生徒に教室をあげる」という改革は、まさに30年前、ブランソンが夢見た教育のパラダイムシフト、未来を創る人材を育てる仕組みなのです。

アスビト創造ラボ 編集長

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PROFILE

工藤勇一(くどう・ゆういち)/横浜創英中学・高等学校校長

1960年生まれ、山形県出身。東京理科大学理学部応用数学科卒業。山形県の公立中学校、東京都の公立中学校に教員として勤める。東京都教育委員会、目黒区教育委員会、新宿区教育委員会教育指導課長を経て、2014年から千代田区立麹町中学校の校長に就任。教育再生実行会議委員、内閣府規制改革推進会議専門委員、経済産業省産業構造審議会臨時委員など公職を歴任。現職は学校法人堀井学園「横浜創英中学・高等学校」校長。
「学校の『当たり前』をやめた。生徒も教師も変わる!公立名門中学校長の改革」(時事通信出版局)、「子どもたちに民主主義を教えよう―対立から合意を導く力を育む」(あさま社)、「改革のカリスマ直伝! 15歳からのリーダー養成講座 」(幻冬舎)、「考える。動く。自由になる。-15歳からの人生戦略」(実務教育出版)ほか、著書多数

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