「対話」を編む
吉満明子/㈱センジュ出版 代表取締役
ASUBeTO:11 本×明日人
震災と出産と
2022年6月、東京都足立区千住に、街のみんなが集い、学び、話し合うことのできるコミュニティスペース「空中階」が生まれました。イギリスアンティーク調のラウンジ、アメリカンクラシック調のミーティングルーム、広々としたカンファレンスルームを備えています。
このスペースは株式会社芝園開発が地域振興に役立ててほしいと、提供したもの。プロデュースと運営を託されたのが、今回の明日人、吉満明子さんです。
運営責任者の吉満さんには、大好きな本があります。12歳のときに母から贈られたミヒャエル・エンデの『モモ』です。聞き上手なモモとの対話に導かれるように、本の世界に夢中になり、大学を卒業すると本の作り手、編集者になりました。
出版社や編集プロダクションで書籍や雑誌などさまざまなものを手掛け、売れる本や旬な本を作り続け、あるときは経営にも参画し、仕事漬けの毎日を送ります。そんな彼女を立ち止まらせたのは、2011年の東日本大震災。そして翌年の自身の妊娠・出産でした。
「被災地支援に必要なものはたくさんあるけれど、本は何の役に立つの?」「あなたはどんな編集者になりたかったの?」「子どもにどういう本を残していきたいの?」
これまでの編集人生を振り返った吉満さんは、そう自分に問いかけずにはいられませんでした。
センジュ出版の立ち上げ
自分自身への問いかけの中から湧き上がってきたのは、「“子どもに残せる本”を作りたい!」という強い思いでした。
2015年4月、吉満さんは会社を辞め、同年9月に住まいに近い古い木造アパートの6畳2間を改装して、「しずけさとユーモアを大切にする」センジュ出版を立ち上げます。出版不況の時代にあまりにも無謀すぎると、誰も賛成してくれませんでした。でも、彼女の思いは強く、本棚と丸いちゃぶ台のあるブックカフェを併設して船出したのです。
その後何度となく経営の危機に見舞われながらも、吉満さんは「この人の本を作りたい」と思った著者と丁寧に向き合い、8冊の書籍を出版しました。ブックカフェは、読者に直接本を手渡しながら、著者や本について語り合える場です。そんなタッチポイントを増やそうと、2019年12月から週3日ほどブックスナックを開く試みも始めました。
コロナ禍で得たもの
そんな吉満さんと読者をつなぐ大事な場所を奪ったのが、世界を震撼させた新型コロナウイルスです。
「2020年春、コロナ禍でお店を開けられなくなりました。本を手渡すことのできる場所と機会を奪われ、万事休す! もう会社をたたまなくてはならないの? そう思うと、3週間くらい一歩も外に出られない。スタッフに仕事の指示をすることもできませんでした」
今回はとことん落ち込む覚悟をしていたのですが、もともとバイタリティとポジティブ思考の持ち主。おこもりに飽きてしまい、立ち上がります。
そのとき、読者から届いていた声にきちんと感謝を伝えていないことに気づいたのです。
「センジュ出版の読者カードを送ってくれた一人ひとりに、改めてお礼のお返事を書きましょう。同時にSNSで発信をしましょうと、スタッフにお願いしました。私は、自宅にいる著者とオンラインで対談して、ライブ配信にチャレンジしたんです」
思い切って行ったライブ配信は、読者との新たな対話の場になりました。
「『センジュ出版のことが気になっていました』『知っていました』という全国の方、海外に住む方とつながることができました。読者の顔を見ること、声を聞くこともでき、こういった方たちがセンジュ出版を知って愛し守ってくれていたんだと、励まされたんです」
本は「対話」だ
読者の温かい声を受け、自分だけの会社ではないと思った彼女は、2021年には、「センジュ出版は何をめざしてきたのか、何をすべきなのか」という問いに、スタッフと一緒に取り組みます。
「吉満さんは、ちゃぶ台を前にして、著者とも読者とも、私たちスタッフとも常に対話してきましたよね」
そのスタッフの言葉に、吉満さんは改めて、ただただ相手の話を聞くモモにずっとなりたかったのだと気づきました。「本を売りたい」のではなく、本を介して著者と、読者と、登場人物たちと、対話をしたかったのだと思い至ったのです。そして本を手にした読者にも、自分自身と対話をしてほしいと願っていました。
哲学対話の世界
その対話の世界をより深く教えてくれたのは、九州ルーテル学院大学で教育哲学を教えている岡村健太先生でした。先生との出会いは、「センジュ出版は何をすべきなのか」という問いを始める少し前、思いがけないカタチで訪れたのです。
「緊急事態宣言が明けた2020年6月、久しぶりにブックスナックを開けた日の最初のお客様が岡村先生でした。研究論文を1年かけて書くために、センジュ出版に近い千住に部屋を借りたんです、というお話に本当にびっくりしました」
「版元買いをしようと思ったのはセンジュ出版が初めて」と岡村先生が話していることを、共通の知人である本屋さんから聞いて知っていた吉満さんですが、会うのはこのときが初めてでした。
それから1年間、岡村先生から哲学対話や哲学の話を折に触れて聞かせてもらいました。先生が九州に戻ってからは、今年になってオンラインで先生の授業を受け、学びを続けました。
哲学対話の魅力は、安心安全な環境の中で、他者と自分の共通点を言語化できるように導いてくれる点。それにより自分自身と他者への理解が深まることです。
学びの成果は、吉満さんが講師を務める講演会や勉強会でも分かち合っています。参加者はただ講師の話を聞くのではなく、隣り合った人と哲学対話をするというワークにチャレンジします。ルールに則って、決められた問いの答えを考え、言語化するために、対話を続けるのです。
例えば、ある医療関係者の勉強会では、コロナ禍で疲弊しきった職員のメンタルを取り戻せるような話が聞きたいというリクエストがありました。
「参加者は哲学対話のワークで、疲弊した気持ちを吐き出すだけでなく、対話をしていく中で自分は一人ではない、仲間がいたという共通解を見つけて、前向きな気持ちを取り戻してくれたのだそうです。アンケートで、哲学対話の満足度が一番高かったことは嬉しかったですね」
しずけさとユーモアを
吉満さんがこうして出版だけでなく、哲学対話を広める活動をしているのは、「対話することで社会の分断はなくなる」と考えているからです。そして、それまで著者と行っていた対話を、必要とする人々に届けていこうとの思いから、対話をキーワードにした新しいサービスを生み出しました。
ひとつは、経営者が創業や事業への思いを言語化するための経営対話サービス。もうひとつは、そうした対話をロゴやWEBサイトデザインなどにもつなげるブランディング対話サービスです。
また、吉満さんが受講生と対話しながら、自分を知り、自身のよりどころとなる言葉を見つける「対話型文章講座」なども好評です。
編集の仕事を、本だけでなく、街や人々の関係を編むことにまで広げてきた吉満さん。センジュ出版が掲げる「しずけさとユーモア」とは、どんなことを指しているのでしょう?
「自分の内面としずかに対話することで、感性と理性のバランスを保つことができ、自分らしく素直な考え方を取り戻すことができます。そこから小さなユーモアと寛容さが生まれ、他者との対話を助けてくれるのです」
吉満さんが編む「対話」は、そんな温かい未来を届けようとしています。
(2023年3月20日)
明日人の目
ダイバーシティ&インクルージョンの時代を編む哲学対話スキル
吉満さんが力を入れる「哲学対話」は、一見すると、とりとめのないおしゃべりのように見えますが、企業でも学校でも注目されているコミュニケーションの手法です。
そのルーツのひとつは、1990年代にフランスの哲学者マルク・ソーデが、パリのカフェで始めた「大人のための哲学カフェ」。哲学者や大学生から有閑マダム、タクシードライバーと実に多様な人々が200人以上も集まる人気イベントだったとか。やがて、街角の景色を変え、時代の空気を変える、大きなムーブメントになったのです。
その後、国連教育科学文化機関(UNESCO)でも、市民教育の有効な手段として高く評価されるようになったのですが、日本に上陸したのは2000年代になってから。そして今、「哲学対話」が組織変革やWell-being推進の有効なツールとして、ビジネスシーンでも注目されるようになったのには、わけがあります。
ひとつは、問いかけから始めること。
自分が「知っている」と思いこんでいることや、「正しい」と信じこんでいることを、改めて「本当に?」と問い直すことで、冷静に、客観的に自分を見つめ直し、新たな可能性を見出すきっかけにするのです。
そして、知識ではなく、自分の経験を話すこと。
経験には誰一人同じものはありません。10人いれば10の、20人いれば20の、オリジナルのものがたりがあり、それぞれに耳を傾けることで、「多面的・多角的な観点から考察する」スキルを自然と身につけることができるのです。
文章を編むプロフェッショナルの吉満さんが、「哲学対話」に出逢ったことで活躍の場を拡げ、人を編み、街を編み、時代を編んで、新しい景色をつくっていくのが楽しみです。
アスビト創造ラボ 編集長
PROFILE
吉満明子(よしみつ・あきこ)/㈱センジュ出版 代表取締役
1975年、福岡県生まれ。日本大学芸術学部文芸学科卒業。編集プロダクションにて多岐にわたる編集を経験し、同事務所の出版社設立時に取締役就任。2008年、小説投稿サイトを運営する出版社に転職。編集長就任後に出産。2015年4月に同社を退職。同年9月、足立区千住にセンジュ出版を設立。出版のほか、センジュの街の魅力を積極的に発信する活動も。他社書籍の企画・編集も手がけ、2017年12月には、自身が企画・編集した『8年越しの花嫁〜キミの目が覚めたなら』をもとにした映画『8年越しの花嫁〜奇跡の実話』が公開となり、この映画の脚本をもとにしたノベライズの編集も担当。従来の編集の枠を超えて、対話を大切に、「編む」ことのメタ認知を続けている。千住の共有地「空中階」プロデューサー・管理者、対話型文章・読書講座講師、哲学対話ファシリテーター、NPO法人読書の時間代表講師なども務める。著書に『しずけさとユーモアを』(エイ出版社)。
- センジュ出版 https://senju-pub.com/
- note https://note.com/senjupublishing
- 撮影/元木みゆき