宇宙のご馳走は“心の栄養”
港屋ますみ/管理栄養士・公認スポーツ栄養士
ASUBeTO:12 食×明日人
日本人初の日本人宇宙飛行士専任管理栄養士
SDGsやフードロスについて語られる機会が増え、食の重要性や可能性について、活発な議論が交わされる時代になりました。明日の食とはどのようなものでしょうか? 宇宙航空研究開発機構(JAXA)で管理栄養士を務める港屋ますみさんは、“宇宙食と栄養”という大きなミッションに挑戦中。学生食堂での栄養管理からスタートし、人類にとって未知の領域にまで歩みを進める港屋さんに、学び続ける原動力についてうかがいました。
プロとしての第一歩は“米炊き”の日々
港屋ますみ(以下同):小学校5年生のとき、初めてダイエットに挑戦し、家庭科の教科書に付いていた食品成分表を見て「面白いな」と思ったのが、栄養に興味を持ったきかっけです。高校2年生になって、もう一度ダイエットしようと思ったタイミングと、進路選択の時期が重なりました。せっかくなら興味があることを仕事にしたいと思い、管理栄養士を目指して大妻女子大学に進学しました。
———大学で勉強を始めた後、栄養士に対する印象は変わりましたか?
自分の経験から、多感な年ごろの子供たちの悩みを解決したいと考えていましたが、「病院で働ける可能性はあまり高くない」と聞かされ、とりあえず資格を取れば道が開けるだろうと勉強に全力を注ぎました。当時は3月に試験、5月に合格発表というスケジュールでしたので、管理栄養士になれるか分からない状態で卒業を。仮に資格が取れなくても働ける職場として、学生食堂の運営会社への就職が決まっていました。
結果的に試験には合格しましたが、食堂での仕事は“米炊き”が中心でしたね(笑)。朝6時に出勤し、三升の米を40釜分炊き上げます。その後、100キロ分のお肉を2人がかりで切っていると、あっという間にランチタイムに。そこからはひたすらご飯をよそい、ラーメンを茹で……同期の中には、「思っていた仕事とは違う!」と辞めていく人もいました。さいわい、朝と夜に運動部の寮生が利用する食堂でもあったので、2年目からは彼らの献立を考えるという、管理栄養士らしい仕事ができるようになりました。
“勝つための献立作り”を学びたい
———寮生の栄養管理が、公認スポーツ栄養士を目指したきっかけですね?
はい。学生時代の病院実習で、「食塩何グラム」のような治療食を作ることが私には向いていなことに気が付きました。ですから、逆に、モリモリ食べなければならない人の栄養管理はできないだろうかと考え、勝つための体づくりをサポートするスポーツ栄養士の道はいいなと。
プロスポーツチームの栄養セミナーなどに参加するようになり、勉強の時間を確保するために職場を変えました。平日は保育園で栄養士として働き、土日はスポーツ関連の勉強会に参加を。そんな活動の中で知り合った方に誘われて、大学などの運動部と契約して、栄養指導の仕事を始めました。
フリーランスの栄養士としての守備範囲を広げる中で、JAXAで働いている方と出会い、その後、「JAXAを離れるので、後任として働きませんか?」と声をかけていただきました。
究極のテレワーク“宇宙”での栄養管理
———アスリートの栄養管理も責任重大ですが、宇宙飛行士となると、よりプレッシャーが大きかったのでは?
当初は、地上で宇宙飛行士が年に一度受ける検査の結果に対し、栄養指導するというお話でした。「宇宙での栄養管理はNASAが行う」ということで、それならできるかなと。わたしがJAXAに入ったのは2018年10月で、金井宣茂飛行士が地球に戻ってから数カ月が経ったころでした。ミーティングの際に、金井飛行士から宇宙滞在時の栄養管理についての課題があがり、健康管理グループ内で「何とかしなければ」という機運が高まったのです。
———その次にJAXAから宇宙に旅立ったのが野口聡一飛行士だったわけですね?
はい。当時、アメリカにいた野口飛行士や、健康管理の中心となるフライト・サージャン(航空宇宙医学の専門家)と遠隔で連携を取りながら準備を始めました。でも、野口飛行士のISS(国際宇宙ステーション)滞在中は、自分の甘さを思い知らされる場面が多かったですね。微小重力下での体調変化、閉鎖環境におけるストレス、滞在開始後にしばらく続く「宇宙酔い」という症状もあります。そういう“究極のテレワーク”の状況については飛行士の方が詳しいので、まず飛行士の感覚や気持ちを大事にしようと考えました。
宇宙日本食=心の栄養
———宇宙飛行士のために具体的にはどのような取り組みを?
基本的な食事はNASAの指示に従いますが、それ以外に「ボーナス食」という、ストレスを緩和し、パフォーマンスを向上するためのメニューがあります。JAXAでは、これに該当するものを「宇宙日本食」として認証しています。例えば「柿の種」や「サバの缶詰」のような食品で、いわば“心の栄養補給”を担っているものですね。これらは「好きなものを食べる」ことが大事なので、細かく栄養管理すると元も子もありません。食品パッケージに「1日に必要なカルシウムの20パーセントが摂れますよ」といった分かりやすい表示をさりげなく付けることで、栄養管理の目安になるように工夫しました。
宇宙食研究の意外な活用法
———現在はどのようなことに取り組んでいますか?
「日本人飛行士向けの栄養基準作り」を目指しています。一般的な日本人を対象としたエネルギー摂取量の計算方法や栄養基準はあるのに、宇宙飛行士の栄養となると、とたんに「世界はひとつ」となって、NASAが作った基準ですべてが動いています。しかし、日本人と外国人では体格も食習慣も違いますよね。このことについて整理されていなかったので、わたしが着手することになりました。
過去のデータも、これから積み重なっていくデータも、宇宙食開発のためだけではなく、宇宙と同じように物資の調達や輸送が困難になった場合の栄養確保にもつながります。例えば、災害時の食事や、高齢者の方が少量でエネルギーを摂取するための食品開発にも役立つのではないかと。
JDA-DAT(日本栄養士会災害支援チーム)の研修に参加し、災害時の栄養にはいくつかのフェーズがあることを学びました。まずは、とにかく生きるためのエネルギー補給をすること。その後、物資が集まっても、菓子パンだらけになったり、弁当が集まったときに揚げ物だらけになったりと、災害時特有の問題が発生します。宇宙食研究の中に、こういう課題解決のヒントがあるかもしれません。
一人ひとりに寄り添う管理栄養士に
———最後に、港屋さんが考える「明日の栄養士」「明日の栄養管理」とは?
今後は、一般の方に対しても、パーソナルな栄養管理が重要になると考えています。一人ひとりの生活環境は異なり、それぞれの嗜好も違います。それなのに、コンビニの弁当でも、「管理栄養士監修」となったとたんに、野菜の煮物に雑穀米というワンパターンになってしまいがちですよね。栄養管理が必要な人の中にも、ハンバーグやコロッケが乗ったお弁当を食べたい人がいるはずです。一人ひとりの豊かな食生活をサポートするために、それぞれの気持ちに寄り添ったパーソナルな栄養管理が求められる時代が来ると考えています。
(2023年4月18日)
明日人の目
“心の栄養”で宇宙飛行士の“やる気スイッチ” ON!
良いパフォーマンスをするには、十分な知識と、卓越したスキル、そして“やる気”の、3つの要素が必要です。
やらなきゃいけないことは分かっているし、ちゃんとやれる自信もあるけれど、どうにも“やる気”がでない、ということはよくあること。とくに『宇宙空間』のようなストレスの多い環境では、この“やる気”のスイッチをどう入れるかが、安全で健康的な宇宙ライフを継続する上で重要なキーになります。
“やる気スイッチ“の入れ方にはたくさんの種類があるのですが、中でももっとも即効性があるのが“感覚的インセンティブ”、つまり五感が喜ぶ“ご褒美”です。気持ちが落ちこんでいる時、集中力がとぎれた時に、「美味しい食べ物」「美しい光景」「心地よい音楽」を提供することは、「がんばれ!」「しっかり!」という言葉よりもずっと効果があるのです。
港屋さんが工夫を重ねる“宇宙日本食”は、まさに宇宙飛行士の“やる気スイッチ”を入れる貴重なアイテム。宇宙飛行士たちがそれぞれのミッションをやり遂げるためには欠かせないものになっています。
ただ、即効性はあるけれど、効き目が長続きしないのと、個人の好みに大きく左右されてしまうのが“感覚的インセンティブ”の難しいところ。港屋さんがめざす、一人ひとりの“心に美味しい”メニューは、これからさらに長期化する宇宙活動のなかで、宇宙飛行士たちを支える必需品になることでしょう。
アスビト創造ラボ 編集長